友達を持つということは、自分以外の人の人生を知ることなのよね。
本当に、ありがたいことに、昔から縁のある友達が
絶えたことがない。
それは、学校や職場だけでの浅いお付き合いの
知人は多いけど、それとは違う種類の、いわば
「ソウルメイト」
と呼びたい友達が男女問わずたくさんいるの。
このソウルメイト達は、他人事なんて言葉は
似合わないような、情に厚いひとが大半を
占めている。
そんな友達が困っているとき、悩んでいるときに
話を聞く。
どんなふうに辛くて、どう解決したいと思っているか。
何か私からアドバイスできることがあれば、微力ながら
協力する。
それは、手段を提案することであったり、実際に会って
物理的に解決に向けて動くことも。
そんな気の置けない友人達との長い付き合いの中で、
もちろんわたしも大いに助けられてきたことが多い。
同じように悩みを打ち明けたり、実務的に助けて
もらったり。
「いーよ。お互い様よ☆」
なんてわたしが言っていたことが、本当にお互いを
支えているシステムになっていると気付いた。
誰かが辛かったら、会いに行って、
もしわたしが辛かったら、誰かが会いに来てくれる。
自分と友達とは、シンクロする想いがあるからこそ
絆が深いのだけれど、私が経験しえないことを超えて
今を生きている友達の人生を知る。
そして、友達も逆に、彼らの知らなかった私の人生を
垣間見る。
絆の深い友達を持つということは、自分以外の人の
人生を知ること。
そんな真の意味を、長年の付き合いから感じるように
なったの。
ヴァーチャルな人生経験。
だけどそれは途方も無くリアルなもの。
そんな経験に触れて驚いたり、真剣にどうすればいいか
考える。
私のことではないけれど。
そして、友達がわたしの経験にも親身になって、
過去に日常生活が困難になった時に支えてくれたわ。
感謝されることのためにやってるんじゃあない。
それでわたしが納得するからやってるの。
自己満足?そんなの外野の意見でいいわ。
相手もだいたいそんなかんじ。
・・・ここまで書くと、なんだか重苦しい人間関係の
ようにも見えるけど、基本的にはユルいです。
お互い、
「お邪魔するよーー☆いけてるー??」
みたいなノリで土足だから(w
たぶんこれは、このつながりは終わりまで
続くのね。。。